3月24日境内の桜が満開になり夜のライトアップを開催しました。これは例年開花の時期に行なっています。

3月19日から21日 富士山太祠において春季報元大祭の諸祭事が斎行されました。19日夕刻、境内 龍神門 斎庭で招霊された御霊は管長台下の御親祭により本殿内陣の霊殿に奉安されました。
翌20日 朝に青山霊苑 扶桑奥都城で奥都城祭、昼から太祠で物故教導職式年慰霊祭を斎行、夕刻に前日祭が斎行されました。21日は珍しい雪になり、境内は数日前に開花宣言がなされた桜と雪で飾られました。大祭に先立ち永年勤続教導職に褒賞が管長台下から授与され、続いて教嗣を始めとする女子教導職により奉仕されました。
3月7日 曹洞宗大本山總持寺に於いて開催の公益財団法人全日本仏教会代議員会議にて厚生年金加入問題に関する審議があり、管長台下は日本宗教連盟事務局長として出席されました。
厚生年金加入問題について
平成27年1月末から日本年金機構から全国の小規模の寺社、教会に厚生年金加入通知が届き混乱した。
混乱の原因は
①加入を促進する文書が強制的であり誤解を生じていること。
②小規模寺社教会には厚生年金制度がなじまないこと。などが考えられる。
現在、日本宗教連盟が窓口となり厚生労働省年金局と宗教法人の特殊性に鑑み、実態に合った適正な制度加入の促進にむけ話合いを開始している。それらが整理されるまでの間、未加入宗教法人に加入通知など加入促進の一時停止の処置がなされることとなっている。
[被包括宗教法人でお困りの方は本部までお問い合わせください。]
新玉の新年を迎えお祝い申し上げます。皇上陛下の御安寧と我が国の安泰を謹んで祈念申し上げます。そして皆様にとって今年も素晴らしい一年でありますようお祈りいたします。
さて昨年は私たちの長年の願望でありました富士塚が太祠境内に復興いたしました。「松原のお富士さん」と親しまれていた扶桑富士塚は江戸市中の富士講社が競って石碑を築きあげた高さ10mを誇る立派なものでありました。さらに、お胎内(洞窟)と池を設備し、胎内参り(安産のお願い)も賑わっていました。しかし昭和20年5月20日の空襲で華頂宮さま所縁の本殿はじめ境内建物は消失し富士塚も罹災いたしました。そのため富士塚は当局よりの立ち入り禁止を受け、取り壊しを余儀無くされました。罹災より七十年、この度、全国富士講睦会結成八十八周年の記念事業として「松原のお富士山」を復興いたしました。(復興造営では現在の建築要件に合わせ、高さを3m70cmの実物大の1/1000としました。)富士塚の三大要件とされる「①富士山の黒ボク石(溶岩)を使用する②頂上に浅間社(木花咲耶姫)を祀る③登山道を配し登れる」を満たし且つ、西方には御開祖 角行さまが修行をされた人穴(富士宮市)また七合目には蓬莱山亀の岩八大龍王社を配置した本格的な富士塚といたしました。(黒ボク石は70年前に取り壊した残石と富士吉田市の富士山元祠に取り置いていた古いものを使用しました。また「伝統石積」の技術により総て「組み上げ技法」により築かれました。現在では黒ボク石は採石禁止ですので、このような大規模な富士塚の造営は今後、不可能と存じます。)
此度の復興造営では岡村耕治さま(鹿島建設設計士)小林保義さま(石積み工事)芝江貞徳さま(芝江組)鴨志田潔さま(造園工事)山田賢治さま 小柴石材さま 辻村栄輔さま(胎内設備)はじめ多くの皆様のご尽力とご奉仕に深く感謝申し上げます。平成二十五年ユネスコが「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として富士山を世界遺産登録し、これにより山梨、静岡のみならず江戸の富士講文化も再び見直されてきています。今後は此の「平成の富士塚・松原のお冨士さん」が冨士信仰文化と江戸富士講の伝統を継承する拠点と成ることを期待しています。更に三年後に迎える御開祖藤原角行様ご生誕四百八十年、中興元祖食行身禄様ご生誕三百五十年の記念大祭に向けて富士吉田の元祠本殿の修復にも邁進いたしたく存じています。私達は四百五十年に渡り伝えられてきた冨士信仰の祈りの姿を変えることなく後世に引き継ぐ努力を傾倒する覚悟です。皆様のお力を結集しての御奉賛を心からお願い申し上げます。
平成三十年 元日
富士道第十二世
神道扶桑教 管長 宍野 史生