新型コロナウイルスの猛威への所感

疫病は100年ごとに発生しています。丁度400年前の元和6年7月の「つきたおし」(所説ありますがここではコレラとします)という疫病が蔓延した時に富士道開祖角行さまが謹製された「おふせぎ」というお札が私どもに伝わっています。
当節、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっています。そうした中で日本は他国に比べ圧倒的に感染死亡者が少なく、今現在、感染防止的にはどうにか押さえられている状況です。
それには以下の2つの要因があると考えます?
・手洗い励行
・元来の除菌(清潔)好き
とくに、手洗いは日本固有の文化に起因しているのでしょう。
神仏に参詣には先ず手水を行う。茶席の席入りにも手を浄めます。また、祭礼では、男達が水を被り禊をするなど、これら清めの行為は日本文化の根底に清浄が旨とされているからでしょう。それには国土に豊富な水があることにより水ををもって清浄を保つことを可能にしています。豊かな国土の恩恵です。
そうしたなか、幼稚園児は入園後まず、手洗いを学習します。また湯船に浸かって入浴する習慣も日本特有でしょう。そして、街中には除菌効果を謳った洗浄商品が溢れています。喫茶店、レストラン、居酒屋に至るまで「おしぼり」が提供されるのは日本独特のサービスでしょう。
日本人は手を洗うことに違和感がありません。帰宅後、食事の前、には手を洗うのです。手を洗う=身を清めるは、私達にとり、気持ちの良い所作なのです。ゆえに私達は日本の文化と習俗(信仰)に助けられているのだと思います。
ウイルスが自然界から発生したものと考えると、それは、さまざまな生命をもてあそび、地球環境を想いのままに崩してきた現代人と現代社会への警告に違いありません。際限ない欲望(食欲、生存欲)の為に感謝も慈しむ心もないまま命を奪われた者(生物)の悲しみが新型ウィルスを生み出したとも感じます。
新世界秩序が提唱されて100年、世界平和を唱えながらも、地球レベルで進められた全体主義体制、特にグローバリゼーションによる経済、金融の統一は結果的に一握りの富裕層を作り経済格差を拡大させたといえます。お金を稼ぐことが何よりも優先され、経済的価値のみが評価される世の中になっています。人はどう生きるべきか?100年に満たない人生をいかに過ごすか?何のために生かされているのか?、、、、。
今一度、「地球と大自然に生かされている命」という慎ましく、謙虚な考えを再確認し、日本人がもつ、「有難い。もったいない。」という感性を見直す機会ではないでしょうか。
2013年ユネスコは「自然を尊ぶ」という日本人の気質に基づいた「食」にかんする「習わし」を「和食:日本人の伝統的な食文化」と題して無形文化遺産に登録しました。私は日本人にとって食事が、ある種の儀式と考えています。神事の後の直会の延長にあるのが食事だからです。昨今、食事の作法や所作が忘れられています。
「いただきます。ご馳走さま」の感謝は無論、箸を使い神様から賜った恵みを頂く有り難さを感じながら丁寧に食事をいただいてきた先人達の姿への再確認が必要です。
「海山の貴き命いただきて我が身に宿る神のみ恵み。いただきます。」
「手を尽くし技を重ねてととのへむ作りし人の心うれしき。ご馳走さまでした。」美しい日本語です。
感謝と祈りのなか、自然豊かな国土に住み、先人達の深い智恵に守られていることを有難く思う日々です。
皆様、一緒に一日も早い収束を祈りましょう。本来は太祠、各教会、神事所の神前に参集し皆様で祈りをあげるのが本意ですが、今はウイルスに「感染しない!感染させない!」が大変重要です。よって太祠、教会に参集しての神祭事を中止しています。教導職、教師の皆さまにはご自身の神棚を通して元の父母さまなる大祖参神さまに御祈願ください。そして、この度の感染により亡くなられた方々の御安福を願い、なお闘病されている方々の回復と治療や看護にあたられている医療関係者はじめ総ての皆さまのお働きに心を寄せて感謝の祈りを捧げましょう。

令和2年3月31日 神道扶桑教管長 宍野史生

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